東京地方裁判所 昭和23年(ワ)2138号 判決
原告 野口三内
被告 山下和博
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目四百六十六番地所在木造瓦葺平家建居宅一棟建坪二十一坪(造作原形のまゝ)の家屋の内玄関向つて左側の六疊一室を除く其の余の部分を明渡すべし訴訟費用は被告の負担とする」との判決竝に仮執行の宣言を求める旨申立てその請求の原因として、被告先代順一は以前より請求の趣旨記載の家屋(以下本件家屋という)を所有者たる訴外横川幸次郎より賃料一月金三十三円月末拂の約で期間の定めなく賃借しこれに居住し來つたが同人は昭和二十一年一月二日死亡したので被告はその家督相続をなし右賃借人の地位を承継し、現にこれに居住占有している。然るところ右横川は本件家屋を昭和二十二年七月訴外松井泰道に賣却し、更に同人は同年十二月二十日原告に賣却し原告はその所有者となり昭和二十三年二月二十四日中間省略の登記により右横川より所有権移轉登記手続を完了し右賃貸人の地位を承継した。然して右松井は本件家屋を買い受けた直後に被告に対し、右買受の事実を通告すると共に自ら使用する必要ある旨を告げ、本件家屋の明渡を求め其後引続き明渡しの交渉中被告は昭和二十二年十一月より同人に無断で訴外平田秀彦に本件家屋の八疊一室を使用貸借をなし同訴外人をしてこれに居住して占有せしめ、更に又原告が前記の如く本件家屋を買受けるや即日被告に対し右買受の旨を告げ併せて当時の住居に継続して居住し難い事情にあることを述べ、本件家屋の玄関左側六疊と二疊に同居したき旨を申入れた処被告は諾否の回答をもなさず昭和二十三年一月原告に無断で訴外山田順一に右六疊一室を無償で貸付けその後引続き之を使用占有せしめ次で右二疊の室には被告の荷物を竝べ原告の同居の余地なきことを示し数次に亘る原告の同居方の懇請を拒絶するに至つた。
よつて原告は昭和二十三年六月十一日附書面を以て被告に対し無断轉貸を理由として本件賃貸借契約解除の意思表示をなし右書面は翌十二日被告に到達したから、同日原被告間の右賃貸借契約は解除されたものである。仮に右契約解除の効力が認められないとしても、本訴の繋属中右山田順一が右六疊より退去したので原告は被告に対し爾後原告に無断で絶対に轉貸せざる旨申入れて置いたにも拘らず被告は昭和二十四年四月十日頃より右玄関左側六疊一室を又も訴外服部信子に原告の承諾なくして轉貸するの背信的行爲に出たので原告は被告に対し右無断轉貸を理由として同年六月十日附書面を以て右賃貸借契約解除の意思表示を爲し、右書面は同年同月十一日被告に到達したのであるから原被告間の本件賃貸契約は同日を以て解除されたものである。從つていづれにせよ被告は原告に対し本件家屋中玄関左側六疊を除きその余の各室を返還すべき義務があるものである依て右義務の履行を求めるため本訴請求に及んだと述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求め答弁として、原告主張事実中昭和十三年十二月十二日被告先代順一が本件家屋を当時の所有者横川幸次郎から原告主張の約定で賃借し右順一が原告主張の日時に死亡し被告がその家督相続をなし右賃借人の地位を承継したこと、原告が右家屋を横川幸次郎より買受けた旨の登記の存すること、訴外平田秀彦及山田順一が何れも嘗て本件家屋に原告主張の如く同居し訴外服部信子が昭和二十四年四月より原告玄関左側六疊に同居していること原告主張の日時に原告よりその主張の如き書面による契約解除の意思表示が夫々被告に到達したことは何れも認めるがその余の事実は否認する。被告が右平田及山田を右各室に居住せしめたのは被告は原告及び本件家屋の賣買周旋業者から脅迫的に明渡を請求され、当時被告の母は病臥中で被告も脊髓カリエスで病床にあつたので隣人の世話で用心のために爲したのであるから正当の理由あるものである。且現今の如き住宅難の時代に於ては賃借家屋の一、二室に同居人を置くことは通常の事例であつて賃貸人はこれを認容すべき義務がある。從て原告が右事実に基いて本件賃貸借を解除するのは権利の濫用であつて無効であると述べた。<立証省略>
三、理 由
被告先代順一は從前より本件係爭家屋を元所有者横川幸次郎より賃料一月金三十三円毎月末日拂の約で期間の定めなく賃借居住して居たが昭和二十一年一月二日死亡し被告がその家督相続をして右賃借人の地位を承継したこと原告が右家屋を買受けてその所有権を取得し昭和二十三年二月二十四日所有権取得登記をなし(但し横川は昭和二十二年七月頃右家屋を訴外松井泰道に、同訴外人は同年十二月二十日更に之を原告に賣渡し中間省略の登記を爲したものであることは後記認定の通りである)右賃貸借上の賃貸人たる地位を承継したこと、被告が賃貸人に無断で昭和二十二年十二月訴外平田秀彦に本件家屋の八疊一室を次で昭和二十三年一月訴外山田順一に同じく玄関左側六疊一室を更に右山田が本訴繋属中右室を退去した後昭和二十四年五月訴外服部信子に同室を無償で貸與し夫々これに居住せしめたこと、原告がその主張の如く昭和二十三年六月十一日及昭和二十四年六月十日附内容証明郵便により無断轉貸を理由とする本件賃貸借契約解除の意思表示をなし、右各書面が何れもその翌十一日被告に到達したことはいづれも当事者間に爭いない。
而して民法第六百十二條に謂うところの轉貸借は賃借人が賃借物を他に賃貸した場合に限らず、賃借物について他人と使用貸借を締結した場合をも包含するものと解すべく、又同條第二項によつて賃貸人が賃貸借を解除し得るがためには賃借人に於て賃借物の全部を轉貸したことを必要とせずその一部を轉貸した事実あるを以て足るものと解すべく、從て本件の場合原告は被告との賃貸借を有効に解除し得べきが如くである。
仍て原告の右解除権の行使は権利濫用であるとの被告の主張につき判断するに成立に爭のない甲第一号証及乙第二号証証人松井泰道の証言により眞正の成立を認める甲第六号証証人田中利男同松井泰道同木下市藏(一部)同角田誠同山下操の各証言竝に原告(一部)被告本人訊問の結果を併せ考へれば本件家屋は昭和二十二年七月頃不動産賣買を目的とする旭光商事合資会社の外交員たる訴外松井泰道が所有者横川幸次郎より買受け同年八月頃より被告に対し再三自ら又は右会社員訴外田中利男に依頼して一室なりとも明渡して呉れる様要求したが、当時被告は脊髓「カリエス」を病んで臥床中で之を理由に右明渡しを拒否せられたので、右田中は種々の脅し文句を用いて度々執拗且強硬に明渡を迫るに至り、他方隣家が偶々盗難に罹つた事情も有つて被告の母は長男である被告の外に当時数へ年二十歳以下の三人の子を抱え不安を感じ訴外角田誠に相談した結果右角田の知人で戰時中強制疎開のため住居を失い当時住宅に困つていた訴外平田秀彦に用心のため前記八疊一室を一時的に無償で貸與したこと、原告は同年十二月二十日右家屋を松井より買受けるや、右賣買條件は被告現住の儘買受ける約旨であつたにも拘らず訴外木下市藏同小山某等を同道して度々被告方に至り玄関の二疊とその左側六疊の明渡方を強要し、殊に夜分酒気を帶びて至り、案内も乞はず又被告の母の制止をも肯ぜずして被告の病室の隣室に上り込み、帽子を冠つたまゝ大声を発して明渡の談判をするという粗暴非礼の態度があり、右角田誠が取静めの爲その場に呼ばれたようなことさへあつて、被告一家の者は畏怖の念を生じ当時被告の弟の友人で住宅に困つて居た訴外山田順一を更に用心のため一時右六疊に居住せしめたこと、右平田及山田は一時使用の約に基いて何れも本訴提起後本件家屋より退去したものであること及訴外服部信子が右山田の退去した六疊を借受け使用するに至つた経緯は服部信子の夫は杉並区阿佐ケ谷四丁目九百十一番地所在河北病院に於ける被告の係医師で同人の並々ならぬ努力により被告は幸に本復し多大の恩義を蒙つて居る関係にあるところ、同医師は昭和二十四年四月頃廣島市日本赤十字病院副院長に轉出し廣島市に住居を得ることができなかつたため、取敢えず單身で赴任すると共に從來居住して居た河北病院の一隅を退去しなければならなかつた関係で被告に依頼して一時家族のみを右六疊に居住せしめるに至つたものであること、從て服部信子は早晩本件家屋を退去すべき事情にあることを夫々肯認するに足り、叙上の認定に反する証人木下市藏、同田中利男原告本人の各供述部分は信用しない。然らば原告が本件賃貸借の解除原因として主張する被告の轉貸の事実は被告が現に居住中であることを知り乍ら本件家屋を買受けた原告等の理不盡且威迫的な明渡請求を阻止せんが爲の自衛策乃至他人の恩義に報いる措置として採られた己むを得ないものであつて、かような事実に基いて賃貸借の解除権を行使することは法律が権利を認めた社会的目的に明に背馳し正しく権利の濫用であつて無効であると断ぜざるを得ない。
仍て本件賃貸借契約が解除されたることを前提とする原告の本訴請求は理由なきを以て棄却すべきである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 仁分百合人 吉岡進 香川保一)